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5月 05 2013

憲法記念日

3日、憲法記念日であった。

憲法改正をめぐってさまざまな議論が起きている。

奇妙だな、と思うのは、「他の国がこうだから日本も…」という意見。

独立国家であるはずの日本国の憲法を、なぜ他の国々にあわせる必要があるのだろうか?

どうも判然としない。

「米国から押し付けられた憲法だから変えるべき」という意見もよくわからない。

その「押し付けられた」当時、そんなに「押し付けられた!イヤでイヤでたまらない!」という議論があったのだろうか?

押し付けられたかじゃなくて、中身で議論しなくてよいのだろうか?

小学生のとき、自分が感動したのは第97条だ。

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

いろんな国のいろんな人がいろんなことを考えてきて、何千年もの間、幾千幾万の国の、幾千万、幾億という人が血を流してきて、その結果この憲法があるのだという、何か誇りのようなものを感じた。

日本国憲法が世界に類を見ない独特の憲法であり、その内容が「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」で、「過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」というのなら、それは胸を張って誇るべきものなのではないのだろうか?

といって、改憲の余地がないわけではないだろう。

ただ、どう改憲すればよいか、というのは人それぞれ、また多くの議論が必要である。

それを、簡単にこうすればよいなどという絶対的な最善手を提示できる人がいるとすれば、その人は神様だろうと思う。

ただ、この国は八百万の神々の国だからか(もちろんこれは皮肉)、神様みたいに絶対的な意見もずいぶんと目に付くのだが…

長年にわたって、優れた知能の持ち主たちが、必死になって意見をたたかわせ続けてきて、それでも絶対的な解がない。その点は謙虚に受け止めるべきだろうと思う。

また、憲法を変えたい(変えるべき)、変えたくない(変えないべき)という単純な二項対立と、こう変えたほうがよい、ああ変えたほうがよい、いやいやそう変えるのがよいんだ、といった多軸の検討を、混同すべきではない。

また、性急に、自分の意見と違う意見を述べる人を指して、いい大人が「国賊」だの「売国奴」だのと言ってしまうのは、本当に情けない。そういった態度は、民主国家の成人であれば、是非とも避けるべきであろう。

さて、じゃあお前はどうしたいんだ、という話は、申し訳ないが直接お会いした方のみにさせて欲しい。

コメントとかしつこく書かれても、正直対応しきれないのでね…

1 comment

  1. 大津博

    小学生のときに、第97条に感動した事に驚きました。
    流石です。

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