
"実践! ジャズギターコードワークバイブル コードワークを学ぶ上で必要な理論体系の決定版" (矢堀 孝一)
出張先でフラッと立ち寄った楽器屋でなんとなく目にとまり、中身をちょっと読んで「おお」と感激し、即購入。当面教則本は買わないでおこうと思っていたのだが、あまりにもグッとくる内容だったもので、つい…。
帰りの電車で最後まで流し読みしてみたが、これはいい買い物をしたと改めて実感。さすが、日本を代表するトップギタリストの著書だけあるなぁ。
本書は題名通り、ジャズギターでよく使うコードワークについて、ものすごく実践的かつ理論的にも分かりやすく解説してくれている。
まずは3声のコードフォームから説明開始。1章で6弦ルートと5弦ルートにわけて説明、2章でブルース進行で試してみて、3章ではオルタネイティング・ベースとドミナント・モーションで幅を広げる。ハーモナイズドベースラインやウォーキングベースの譜例もとても参考になる。4章で応用。5章からは4声のコードとテンションについて、再び6弦ルートと5弦ルートにわけて説明。ここはかなり濃い。6章でいままでのまとめ。
7章からは4弦〜1弦を使ったコードワーク、8章でアッパー・ストラクチャー・トライアド、9章でトップノートをうまくつかったヴォイシング等を研究。いやはや、まさに私が今年取り組みたかったことが目白押し。
以上出てきた用語について、意味くらいは勉強して知っているけれど、実践にどう活かしたらよいか悩んでいるギタリストには本当におすすめ。
ギターという楽器は、ソロだけじゃなくて、バッキングでも活躍できるのが醍醐味。
世の中には「ギターのバッキングうるさい」等という輩が時々いるようだが、そんな時には「じゃあおまえが静かに演奏しろ」と言ってやればいいんですよ…。
というのは冗談、この本でしっかり学んで、うるさくないようにヴォイシングを工夫したいものだ。

“バカの壁 (新潮新書)” (養老 孟司)
久々に読んでいてツラくなる本。話題作には近寄らないようにしている私だが、カミさんの本棚にあったのを見つけて手に取ってみたのが運の尽き。カミさんが「途中で読むのやめた」といっていたのがよくわかった。我慢して最後まで読んだが、本当に情けなく、心が痛くなった。
タイトルの「バカの壁」については、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。ここに壁が存在しています。これも一種の「バカの壁」です。(p.14)
とある。はっきりした定義がないのが困るが、全体を通して読むと「この壁には他人の話を理解しようとしなくなるというマイナスの面もあるが、一方でこの壁と適切に付き合っていくことが大事なんだよ」と、なんとなくそういっているように読める。
その他、安易に「わかった」と思い込むことの怖さ、様々な方向に知的関心を向けることの大切さが説かれる。人間は変わるものであるし、変わっていかなければならない。個性重視の風潮を非難し、他人の気持ちを理解しなさいという。
まあそうかなと思う。だがこの程度のことは、正直今さら言われるまでもない。
ではそれ以上何か興味深いことが書いてあるかというと、それがない。むしろ、吐き気を催すほどいい加減なことばかりだ。論理のない身勝手な結論、根拠のない一方的な断罪、懐古趣味と老人のボヤキのオンパレード。用語のとらえ方も異常なほどに独特で、頭がおかしくなりそうになる。
一番ひどいのが「個性」について。 大体、現代社会において、本当に存分に個性を発揮している人が出てきたら、そんな人は精神病院に入れられてしまうこと必至。(p.43)
というが、この文章を読んで「そうだそうだ」と思える人がいったいどれだけいるのだろうか。個性は体の能力以外には存在しないと断言されているが、少なくとも私にはまったく理解できない。
ご専門かと思っていた脳に関しても首をかしげるような話ばかり。脳を入出力装置と考え、入力をx、出力をyとするとその関係はy=axとだという。おいおいそんな単純な比例関係で語りきれるわけないだろうとバカに心配していると、「脳をもっと高級なものと思っている。実際には別に高級じゃない、要するに計算機なのです」とおっしゃる。ああそうですか。もう勝手にやってください。原人と現代人の脳の容量を単純に比較する下りなど、専門家の話とは到底思えず、もはや涙なしには読み進めない。きっと読者を中学生か高校生ぐらいに設定しているのでしょうね。
相対性理論やプラトンに関する理解もひどいものだ。まともに本を読まず、居酒屋で聞いた話を曲解しているだけのような印象を受ける。先人の知的努力に対してあまりに不誠実である。こんな感じが全編を通して続く。
普段それほど本を読まない人間がこの本を読めば、量的にも質的にもかなりの誤解をすることになる。身勝手な屁理屈を並べ立てるだけならまだよいが、これではほとんど犯罪ではないか。
最高学府で教鞭をとっていた人間が、日本を代表する出版社からこんないい加減な本を出し、それが四百万部以上も売れてしまったという事実に、心の底から悲しみを覚える。著者が机に向かって執筆したわけでなく、著者の話を新潮社の編集部が文章化したものだそうだが、だからといってこのいい加減さは到底許されるものとは思えない。なぜ彼らが最低限の仕事を行わなかったのか、本当に不思議でしょうがない。
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